12/6
俺はどちらかと言いうと変化を好むタイプの人間である。同じ事の繰り返しをすると考えただけで気分は沈み、何も出来なくなってしまう。徐々にやる気が無くなっていって、この無気力感はどこから来るものなのかと考えてみれば、日記というスタイルにがんじがらめに縛られた結果、ついには身動きが取れなくなってしまうという、おそらく脳が年齢とともに硬化してしまっている事による、いや、元々の俺の性格から起因している可能性もあるが、単に面倒くさかっただけかも知れない。
久しぶりに日記をつけているためか、書くことが少し嬉しいように思う。こうして心の中でモヤモヤしているものを、試行錯誤しながら言葉として吐き出すのは少しだけ楽しい。随分長い間日記を休んでしまったので、書きたい事が山のようにある。まあ俺がそう感じているだけかも知れないが、とりあえず現段階では書きたい事が沢山ある。
家の中でずっと閉じこもっていると外に出たくなるし、外にばかりいると一人で家に篭もりたくなる。働けば休みが欲しい。だが過度の休息には痛みを伴う。これはどんな事に対しても言える。どんなに立派なことを言ったって、自分を動かしているのは自分であり、誰一人として人間という枠をはみ出すことは出来ないのだ。
今日ここでいつもと変わらぬ乗りで日記を書いてもいいのだが、それは俺的にはつまらなく感じるので、ならば今後どうしていくかについて考えてみる。
俺がして来たことというのは、昔でいう徒然なるままにというか、つらつらと考えていることをだらだら書いていているので前後には関連性(リレーション)と呼ぶべきものがない。当たり前だが、昨日書いた内容と今日書いた内容は違う。よって文章にまとまりがない。最近ではそのスタイルに不満を感じることがあって、例えば「A」という事象について書きたい気持ちが強ければ強い程、日々埋もれそうな日記の中にそれを挿入するのはどうかなとためらってしまう部分がある。Aについて書きたいのであれば、できれば別ページで「Aについて」という風に書きたい。問題なのは、そのようにして新たなページを設けていくと、作った自分ですらHPの把握が困難になってしまう事だ。ならば今のままでいいじゃないかという結論になるのだが、しかしそれでは読まされた方はたまったものではないだろう。例えば植物が好きな人がX月X日の日記を見たとしよう。ここにはその人の好きな花について書かれてある。ところが次の日の日記を見ても、また次の日の日記を見ても花のことが全く書かれてなかったとしたら、その人はおそらく落胆するだろう。気ままに文章を書き流していくのは楽だが、そうして出来上がったものは関連のない、ごちゃごちゃとした文の羅列に過ぎないのかもしれない。
なんとなく結論が見えてきた。自分を取り巻く雰囲気、あるいは気分といったものは日々変わっていく。そして、自己の心を探っていくことは決して無意味ではない。日記には日記として書くことがあるのだろうし、何かについて書きたいと思ったら別のページで書けばいい。それだけのことだ。
12/15
自分の中で何かが変化している。心境を一言で表現するなら、無気力。何もしたくない、何も出来ないということ。人間には欲望というのがあって、それは大抵いい意味で解釈されることはないけれど、人間欲がなければ何をする気にもなれないよ。身をもって実感した。
無気力という状態が2週間近く続いているのは生まれて初めての経験だと思う。多少戸惑っている。これがこのままずっと続いていくのだろうか。
はっきり言って、この2週間というものを無駄に過ごした。決して自慢できる事ではないが、それだけは唯一自信を持って言える。その間にも何とか気力を取り戻そうと、普段やらないネットゲームをしてみたり、普段読まない本を読んだりしてみたのだが、一向に変化の兆しは現れない。
自分にとって嫌なことも思い出してみた。人から嫌なことを言われたりとか、考えるだけでも嫌な出来事のことを。でもすごく不思議なことなんだけど、突き詰めていくと彼らの事を許せてしまうのだった。
この寒さが原因なのだろうか。暖かくなれば時期に気力を取り戻せるだろうか。
毎日同じ風景を目にし、ここは独房の中かと思う。外に出たいけど出れない。ここで言う外に出るというのは、思ったことを言い、やりたいようにやり、生きたいように生きることを指していて、人生の葛藤のほとんどはこの2択の選択をどうするかについてだと思う。しかしこんな事を言うのはあまり気持ちのいいものではないけど、思いっきり生きていくのは疲れる。
知らない方がよかったのだろうか。好きな人の内面や、憧れていた性交など。想像を掻き立てられて一喜一憂していた頃の方が、一人の人間として輝いていた時かもしれない。
「何かおもしろいことないかねー」高校の頃の友人が言った。
俺はお前じゃないから、お前にとっておもしろい事など分からない。その時はそう思って彼には何も言わなかった。しかしよく考えてみれば、自分にとっての面白いことや大切な思い出なんてものは、いつだって誰かが与えてくれていたものだった。これからは自分の手でおもしろいことを探していかなければならない。
ずっと気になっていることがある。それは言葉の省略方法についてである。外国語のことは知らないが、日本はなぜか単語を略すことが多い。メモを取ることをメモると言ったりする。これが正式な日本語であるか否かという議論はさておき、このような省略言葉が日常的に使われるという現実に我々は留意する必要があると思う。
これは音楽活動をしているバンドについても当てはまり、売れっ子になって名前が浸透してくるとバンド名が略して呼ばれるようになってくる。しかし、ここが面白い所だと思うのだが、バンド名は言いにくかったり変な単語を連想するような省略はされない。プリンセスプリンセスのことを「プリプリ」と略す人はいても、「プリンプリン」と略す人はあまりいない。もしいたとしても、相手に通じない。ミスターチルドレンは略すと「ミスチル」となり、「ミスター」と略したりはしない。「ミスター」では意味が通じないばかりか、巨人の元監督を指す言葉になってしまう。
また、ファンにとって不本意な略し方も浸透しない。かつてバンプオブチキンを「バンチキ」と略した局があったが、ファンにしてみればふざけんなという気持ちの方が強かっただろう。同様に、ヘヴィメタルの事を「ヘビメタ」と略すのもあまり好まれない。
地域によって略語が異なる場合もある。ファイナルファンタジーというゲームソフトについて数人で話したことがあるけれども、何通りかの省略方法が存在した。一番多かったのは「FF(エフエフ)」という呼び方である。俺が育った所では「ファイファン」という略語で呼ばれていた。それから一人だけ他とは全く違い、「ファイナル」と非常に特殊な略し方をする者がいた。
最近テレビ欄を見ると音楽番組で「ポルノ」と表示されている事がある。読む人が読めばわかるが、知らない母親がそれを読んだら子供に見せるべき番組ではないと判断するかもしれない。もしも、ポルノグラフィティとロリータ18号の二組がゲスト出演したら、番組欄には「ポルノ」「ロリータ」と表記され、知らない人が読んだらこれはアダルト番組かと一瞬目を疑うに違いない。
日本でセックスと言えば99%それは性交の事を指しているのであり、他にも意味が幾つかあるのにも拘らず性別の意味で使う奴はいない。
女の子はファーストキッチンのことを平気でファッキンと略している。ファッキンと言えばFuckin'なのであり、女の子が「じゃあファッキンに行く?」と恥ずかしげもなく言うのを見ると、こっちが恥ずかしくなってくる。また、「Fuck
me!」なんていうバッチやTシャツを着ている女の子も見かけるが、それは「犯してください」という意味で着用しているのか? 「Bitch」なんて書いてあるTシャツもあるが、本当に意味を分かって着ているのだろうか。
学校で外人が担当する英語の授業があった。その教師は日本語もなかなか流暢に話せる人間だった。
教師は授業のはじめに、「コレカラシュッセキヲトリマース」と言って、「〜クン。〜クン」と生徒一人一人の名前を順に読んでいく。彼の出席簿には生徒の名前をローマ字で書いてあるので、あまり間違えて呼ぶということはなかった。しかし、毎回違う呼び方をされる生徒がいた。彼の名は「堀田 英」というのだが、彼が呼ばれる番になると必ず教師は「アホッタクン。……アホッタクンはいませんか?」と言ってあたりをきょろきょろ見回した。「アホッタクン」などと間抜けな名前を呼ばれて返事をする奴などいない。でも毎回のように教師が名前を間違えるので、皆でその原因を考えてみたのだが、どうやらその外人教師の頭の中では「堀田 英」→「A Hotta」→「アホッタ」となっているのではないかという推測が立った。しかしこれでは堀田という名前に物の個数を表す“a”が付いている状態であり、ネイティブの英語教師がその様な間違いを犯すだろうかという疑問が湧く。よって、この仮説も100%正しいと言い切ることは出来ない。
もちろん俺は外人を馬鹿にしてこんな話をしているのではない。日本人だって外国に行けば周りが分からないことだらけで戸惑い、沢山の失敗をするに違いないのだ。でももし、自分の名前が現地では男性器を示す言葉だったらどうすればいいのだろう。
12/17
久しぶりに映画を観に行った。映画なんてわざわざ映画館で観なくてもビデオで安く見られるからと、普段映画を観に行く事は少ないのだが、だいたい一年に一度くらいのペースで映画を観る。お台場のアクアシティにある、シネコンっていうのか、よく分からないけどチケットは全席指定だったから、窓口のお姉さんが席を選んでくれた。「G列がよろしいかと思いますが、いかがなさいますか?」俺は学生証を掲示した。今年も卒業できなかったら、来年これをまた掲示することになるのだろう。
改めてこんなことを言うのは恥ずかしいが、やはり映画をスクリーンで観るのはビデオと違って迫力があった。音もよかった。映画館の中は音響を考慮して設計されたホールのようだった。
ただ気になることが一つあって、それは映画が終わった後の席を立つタイミングである。映画がエンディングを迎えると画面は暗くなりスタッフロールが流れる。一般的にはこの辺りから帰り始める人がちらほら現れてくる。俺はこのタイミングで帰る人に対して文句をつけるつもりはない。誰もが帰りたい時に帰ればいいと思う。だが、自分が列の真中の席に座っている時に両端の客がまだ残っていた場合は、帰ろうにも帰れないという状況に陥る。また、自分が端の席に座っていて、映画が終わり余韻に浸っている時に他の客に横切られると、ものすごく腹が立ってしまう。通路の道幅が狭く周囲が暗いので、自分の膝や荷物に蹴りを入れられることさえある。大きなスクリーンで観るのはいいんだけど、音響もいいんだけど、この問題があるため映画館に足を運ぶのをためらってしまう部分がある。
帰りはバスで帰ってみようという事になった。バス停で10分程待っていると都営バスらしくない大型バスが停車した。空港付近でよく見かけるオレンジ色のバスだ。前に「快速東京駅南口行き」と書いてある。俺とKはそれに乗ることにした。通常のバスと異なっているのは、車内にある座席分しか乗客を乗せることが出来ないという点と、料金が300円という点である。ゆりかもめに乗る料金と比べたら高くないと思った。
いざバスに乗ってみると、乗客はたった一人だった。しかもその客は寝ていた。運転手の時々するアナウンス以外、車内は全くの静寂だった。俺はKに無性にキスしたくなった。「きれいな夜景だね」その気持ちを景色に見とれているという風に誤魔化した。
駅からの帰り道、あたたかい風が吹いていた。最近寒い日ばかり続いていたから、まだ暖かかった頃の事を思い出した。毎日このくらい暖かければ、生きる希望が湧いてくるのかもしれない。
翌日、切れた蛍光灯を交換しようとスーパーに出かけた。3階に切れた蛍光灯と同じ型の蛍光灯が売られていた。特価598円の値札が付いていた。俺は地下一階にも蛍光灯が売られていないか見に行った。地下一階には商品が全て100円のコーナーがあるからである。探してみるとすぐ蛍光灯は見つかった。俺は105円を支払って、その後新しい蛍光灯を取り付けた。
大切なのは、俺が598円ではない100円の蛍光灯を選んだ事だろうか。いや、それは多分違う。大切なのは、俺がKの家の蛍光灯を取り付けたという事だ。
12/19
無気力生活が続く。暇つぶしにボンバーマンオンラインを朝までやっている。そして夜まで寝る。それからまたボンバーマンオンラインを朝までやる。以下その繰り返し。不毛だとしか思えない。起こる出来事といったらメールの着信くらいなものだ。
昨日した電話に納得が行かなくて夢をみた。Kの事を俺が無視する夢だった。
街を歩いていると障害というハンディを背負って生きている人を見かける事がある。以前山に登った時、心に障害を持っているであろう女性がいた。彼女は疲れてしまったのか、山に登るのを嫌がっている様子だった。すると隣で一緒に上っていた人(多分ボランティアの人)が、「ほら、がんばって。向こうにタッキーがいるかもしれないよ」と彼女を励ました。すると彼女は気力を取り戻して再び山を登り始めた。
もちろんこんな山中にタッキーなどいる筈はないのだが、彼女はその言葉によって気力を取り戻した。
Kにも好きなミュージシャンがいる。この前小脳梗塞という病気で入院していたらしいが、その時のKは見ていて気の毒だった。本気で彼のことを心配しているのが俺には分かった。この病名を辞書で調べて欲しいとか、彼のHPをプリントアウトして欲しいなどと会うたびに言われた。それは普段するような頼みごとではなく、何か別の力が働いていて、その力が彼女をつき動かしているように思えた。
今度、そのミュージシャンが病床の淵から復活してライブが開催されることが決定された。Kは「体大丈夫かなあ」としきりに心配してた。しかし、Kはもちろんそのライブに行きたいのだ。その気持ちは分かってるつもりだった。俺はチケットを取るために3時間近く休みなしで電話をかけ続けた。一回だけセンターに繋がったが、その時は既にチケットは売り切れていて、キャンセル待ちの分しか受け付けていなかった。
12日の夜にKと俺はチケットの確認のためローソンに行った。その日はものすごく寒かったが、ローソンは近くにないのでわざわざ駅の反対の改札を出てそれから更に何分か歩いた。
「ごめんね、キャンセル待ちだから多分取れてないよ」俺はショックを和らげようとして事前にKにそう言った。
ローソンに着くとKは設置されている機械の方へ行った。
「これ、どうやって使うんだろう」Kは機械に弱いので、俺が操作方法を説明した。Kは所々つっかえながら予約番号を押す画面までたどり着き、おそるおそる番号を押していった。番号を押し終えた後しばらく検索中の画面が出て、ようやく結果が判明した。チケットは取れてなかった。
「もう一度やってみてもいい?」
何度やっても結果は同じなのだが、それでもKは慣れない手つきで番号を打ち続けていた。
「そういえばさ、この前に出たシングル初回版みたいだよ。今から買いに行こう」俺はKの心を少しでも楽にしてあげたかった。「え、初回版だったんだ。早く買わなきゃ」俺とKは寒い夜に今度はCD屋まで足を運んだ。お目当てのCDは店に沢山置いてあったので買うことが出来た。家に帰ってから、KはそのCDを何度も何度も聴いた。毎回新しい発見や心を動かされることがあるかのように、初回のジャケットを眺めながらじっと聴いていた。ジャケットはプラスティックではなく紙で出来ており、それにはある仕掛けが施されていた。ジャケットを見るKの目はいつになく輝いていた。一方俺は、このジャケットはパートのおばさん達が一日に何百、何千枚も作ったんだろうな、などと一人で冷めた事を考えていた。
Kはいつも俺に「もう実家に帰りたい」と言ってくる。今の自分の仕事が嫌で嫌で仕方なく、実家で一ヶ月くらい静養したいらしい。二人がするいつもの会話は大抵は仕事に関する愚痴であって、彼女の心の拠り所はといえば、その愚痴を聞いてくれる俺と大好きなミュージシャンの事くらいなのだろう。昨日の電話の内容もいつもと同じものだった。
「なんで私はライブに行けないんだろう。どうして行ける人がいて、行けない人がいるんだろう」
こういう時、俺は彼女に何と言ってあげたらいいのか、返答に窮してしまう。
「家に行きたいよ」
俺は先日スカパーに加入していて、ライブの当日に721チャンネルで中継をやるらしい。だからKは俺の実家に来たがっているのだが、「行きたい」と言われると本当に困る。実家には家族がいるからだ。そんな度胸の無いチキンハートな俺だから、余計にKは残念がり諦めるに諦められない状況に陥っていた。「ごめん。録画するから」と俺がいくら謝ってもKは「生で見なきゃ意味ないんだよ」と納得していない様子だった。これは彼に対する嫉妬なのかもしれないけど、俺はもうライブなんてどうだっていいという不快な気持ちになっていた。二人の間に険悪な雰囲気が立ち込めていた。
そういう訳で、俺はKを無視する夢をみた。夜目が覚めて起きてみるとメールの着信が2件入っていた。本文は2件とも同じ内容で、「ごめんね」とだけ書かれてあった。やっぱり彼女はわかっていたのだった。
12/20
滅多にすることがない2日連続更新。昨日はあの後Kから電話があり、ちゃんと仲直りすることが出来た。ごめんねと素直に謝られたら許さない気にはとてもなれない。昨日の時点でその事を書いても良かったのだが、そこまで書くと非常にくさいのでやめた。「ショーシャンクの空に」という映画があるけど、ラストシーンは原作本と若干の違いがある。映画ではモーガン・フリーマンが見事脱走を果たした男と再開する場面でフェードアウトしていくのだが、原作本には実際に再開するシーンはない。彼が希望を捨てずに壁を掘りつづけたように自分も彼を探しつづけよう、と決心してバスに乗るのが確か最後だったと思う。映画だと二人の再開のシーンは感動がより一層引き立つ場面なのだが、文章でそれをやるとくさくなる。だから作者は書くことをしなかったのだと思う。昨日の日記を読み返してみても、後の電話の事はやはり書かない方がよかったと思うし、自分で言うのもなんだが、2件のメールという所が実にいいねえ。
ものを書くのは楽しい時もあるかもしれないけど、それはだいたいにおいて苦しい。おまけに面倒くさい。骨が折れる。一切何もない所からスタートして、さて何を書けばいいのかと悩まなかった日は一度もない。読者の顔が浮かんでこないのも原因の一つとして考えられる。例えば自分が沢山のCDを所有していたとしても、相手の嗜好を知らなければ、一体どのCDを薦めたらいいのかさっぱりわからない。
先日、別ページを設けて書きたいことがあると日記に書いた記憶があるが、いざ書こうとすると困難な壁にぶち当たる。自分一人が何かについて書いたって、完璧なものになり得ないからだ。世の中には俺よりもっと詳しい人が必ずいる。だから、いざ書こうにも躊躇して書けなかったりする。
2ちゃんねるという掲示板がある。今ではインターネットを利用しているほとんどの人が知っているから今更説明は不要だろう。中には間違った情報や意味不明な中傷などもあるが、あの掲示板にはとてつもなく膨大な情報が書かれてあって、ちょっと大げさな言い方をすれば、知識の宝庫とさえ言えるだろう。実際、質問スレッド等でよく見られる、誰かが疑問を抱えていてそれを知っている誰かが答を書き込むという相互扶助のシステムは、非常によく機能している。思うに、必ず自分より詳しい人間がいるという「ネットの力」にはどうやったって勝てない。
そこで俺は発想を変えることにした。ネットの力に勝とうと思ったって勝ちようがない。そもそもネットの世界には勝者も敗者もない。誰もが自分の感じている事を素直に表現していい場であるし、それに賛同する奴は賛同すればよく、反対したければ反対すればいい。どちらの選択も自由だ。その情報が信じるに値するものかどうかを判断し責任を負うのは自分自身であり、それゆえネットの世界には万人のためのカリスマなど存在しない。ネットには誰もがどんな情報も自由に発信することが出来る。ただ一つそこに戒律があるとするなら、自分の思った通りのことを発言することだろう。
自分の書くことはちっとも何の役にも立たないものかもしれない。それどころか人を不愉快にさせるかもしれない。また、どこかのじいさんが餅を喉に詰まらせてしまう可能性だって否定はできない。だが、ここには、ここだけには自分の感じたことを書いていきたい。
12/21
書けるうちに書いておこう。もし来年社会人になったらこのペースで日記を書くのは無理だろう。なるべく、書けるうちに書いておいた方がいい。
先日お台場に映画を見に行ったことを書いた。昨日テレビを見ていたら井筒監督が自腹で映画を観に行かされていた。奇遇なことにその映画は俺とKがお台場で観たのと同じものだった。当初俺は「マイノリティ・リポート」が見たいと主張した。だがKはSFには興味がないと即座に却下されてしまった。彼女は実際に起こった出来事に興味があるらしく、戦争ものや歴史上の事件を扱った映画を好んだ。普通女の子と言えばラブストーリーとかディカプリオの出てる映画に興味を持つものだと考えるが、Kの趣味は少し変わったところがある。以前、本人自身の口からも「私、東条英機が好きなの」と聞いたことがある。ジャニーズの〜君が好きだというならまだ話が分かるが、東条英機が好きだという女の子は滅多にいない。そういう訳で、俺が主張した映画はことごとく否定され、実際観ることに決まったのは以前からKが推していた「K-19」という映画だった。
それでもよかった。レンタルが解禁になったらマイノリティ・リポートを見ればいいじゃないかと自分を慰めた。それにしてもどういう映画なのだろう、「K-19」って。俺はその映画に関する知識をほとんど持ち合わせていなかった。映画が始まってみると、自分がその映画に対していかに勝手な想像を膨らませていたかに気付かされた。まず第一に、これはアメリカ軍の映画かと思っていたが、ロシア軍の映画であった。出演俳優はアメリカ人で英語で話していたけど。第二に、これは単純に戦争の映画かと思っていたら、第二次大戦終結後の米ソ冷戦時代の映画だった。俺は戦争のドンパチが見れると密かに馬鹿な期待をしていたが、結局全編を通してそんなシーンは一度も出てこない。もしこの映画をカテゴリー分けするとしたら、戦艦ものになるだろうか。戦艦ものといっても、ここで「宇宙戦艦ヤマト」みたいなアニメーションを想像したらそれは間違いである。映画中における出来事のほとんどは潜水艦の中で起こり、そういう意味では密室ものと言っていいかもしれないが、この映画は実際に起こった事件を題材にしているため、とにかくリアリティというものにものすごい力を注いでいた。
番組では井筒監督とアシスタントの女性が映画を鑑賞している姿を放映していたが、あの二人の視線がこの映画を実に雄弁に物語っている。アシスタント女性が映画を見てぼろぼろ泣いたり「怖いよー」なんて口にしていたが、俺が行った映画館の雰囲気もまさにそれだった。周りの色々な箇所で声が聞こえると思ったら、女性のすすり泣く音だった。隣を見るとKがやっぱり泣いていた。それは喜びや感動といった類の涙ではない。深い悲しみや言い知れぬ恐怖感、そういったものが全て交じり合った涙である。
映画が終わった後、俺はしばらく何も言えなかった。まず最初に何から言い始めたらいいのかわからなかった。上映中にずっと俺の手をぎゅっと握りながら怖いとつぶやいていたKは、「一緒に観てくれてありがとう」と言っていた。「一人じゃ私、観れなかった」
俺はこれからどうすべきか悩んだ。とてもショッピングや和やかな食事をする気にはなれなかった。悩みぬいた末にやっと言えた言葉がこれだ。「じゃ、帰ろうか」
まだ付き合い始めて間もないカップルのために忠告しておくが、この映画だけは観ない方がいいと思う。観てもいいが、その後カラオケや居酒屋に行く気にはなれないだろう。それくらいK-19は重たい映画である。だから今無性に観たいのは、何も考えずにただ笑って楽しめるような軽くて超バカな映画だ。
12/24
今年のプレゼントは無しだ。その代わり、生活良品館という100円ショップでカメラの三脚を買った。
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早速R10に取り付けてみたが、三脚の穴が真中より少しずれているため、バランスがとりづらい。 |
12/25
Kの家のトイレを借りた。便座を持ち上げて覗くと、中が血まみれになっていた。見慣れていたので別に驚かなかった。ああまたか、と思った。
血まみれになった便器を見るのはこれで何度目だろうか。初めに見たのは前付き合ってた彼女、次が俺の妹、その次がK、その次が今回だから4度目になる。これは本人にとってしてみれば恥ずかしい事だろうから、向こうから言って来ない限りこちらから指摘はしない。彼女らはただ単に流すのを忘れただけなのだ。
仕事で失敗した時は、上司にきちんと叱って欲しい。俺は以前バイトをしていたスーパーで何度も大きなミスをした事がある。客からクレームがあって、後からかけ直しますと言って聞いた相手の電話番号を間違って記録してしまったのだ。その時は電話をかけても繋がらないし、客の怒りは増大するしで大変だったらしい。また、店の鍵をうっかりかけ忘れてそのまま帰ったこともある。ただし、そういう致命的な失敗をしても少しも怒られなかった。仕事をしていても話し掛けられるという事は一切ない職場の雰囲気があった。だから俺は結局バイトをやめるまで、相手が何を考えているのか分からなかったし、逆に相手だって俺のことをそう感じていたに違いない。
スーパーで万引きをする奴は半分誰かに見つけてもらいたくてやっていると、テレビ番組で言っていた。そんなことあるもんか。見つからないようにやってるに決まってるじゃないか。しかしその一方で俺はそのスーパーで仲間が欲しくて、誰でもいいから叱ってくれる人が欲しくてわざと失敗しようかと半分本気で考えていた。怒られないことほど辛いことはないと思う。これもテレビで見たことがあるのだけど、最近リストラが流行っていて、リストラさせるための部署があるそうだ。そこに仕事らしい仕事は一つもなく、出勤して来てもただ机に座っているだけらしい。
それを見た時は、座ってるだけで給料が貰えて楽ちんでいいな、と羨ましかったが、実際誰からも相手にされず無視され続けたら、絶対に仕事を辞めたくなると思う。仕事は嫌なことばかりだけど、たまに誰かが褒めてくれるのが嬉しかったりして、それを頼りに続けていけるのだと思う。
高校の頃、朝起きると母親が寝込んでいた事がある。気になって父にどうしたのかと尋ねると、
「う〜ん、なんか知らないけどねえ、お母さん寝込んじゃったんだよ」
父は含み笑いを浮かべながら答えた。俺には父がなぜ微かに笑っているのか分からなかった。そのため、気持ちに妙に引っかかるものが残った。
二日が経ち、ようやく父の含み笑いの謎が解けた。そしてなぜ母が寝込んでしまったのか、その理由も判明した。
高校生の頃は勉強や部活で忙しかった。その時も家で数学の難しい問題と格闘していた。しかしいくら考えても解法が思いつかず、ストレスばかりが溜まっていた。そこで俺は閃いた。
そうだ、オナニーすればいいんだ。オナニーは日ごろのストレスや束縛から、俺を解放してくれる。そうだ、オナニーしよう。
更に嬉しいことに、俺は先週のある出来事を思い出した。
そういえば、友達からエロ本借りてたんだっけ。グッドタイミーング。よーし、こいつを使わない手はないぜ!
快楽を与えてくれるオナニーに思わぬおかずが加わったことにより、俺は有頂天になっていた。だが、それがそもそもの悲劇の始まりだった。
エロ本、エロ本っと。どこにしまったかな〜。
俺はまるで溺愛しているペットとかくれんぼを楽しむかのように、部屋の中を探しはじめた。だが、エロ本はなかなか見つからなかった。
あれ、どこにしまったんだっけ?
最初は調子に乗って歌まで歌いだしていた俺であったが、2分3分と時間が経過するうちに、だんだん本気で探すようになった。
おかしいな、どこだよ、まじで。ちくしょう、ふざけんなよな。
いくら探してもエロ本は見つからず、俺はしまいには、飢えた野獣のように自らの部屋を漁り始めていた。
何分経っても見つからないので、今度は冷静に考えてみることにした。
まてよ、落ち着け、まずは落ち着くんだ。よーし、いいぞ。少し深呼吸しようか。すー、はー。よし、これで大丈夫だ。
まず、一番最後にエロ本を見たのはいつだ? うーん、思い出せない。よく思い出せ、ここが一番肝心な所だ。…ええと確か、二日前?…そうだ、二日前だったじゃないか。二日前の夜、俺はお風呂からあがった後、開放的な気分に浸っていた。家族が既に寝静まり、俺一人が家で起きていたからだ。そこで俺は学生カバンから友達から借りたエロ本を取り出して、一階の食卓の上で堂々と読み耽っていたんだ。
高校時分という事もあって、当時の俺の目にはエロ本が相当刺激的に映った。いや、今考えてみてもあのエロ本の内容は割とハードだったように思う。何しろ普通のヌード写真ばかりでなく、はめ撮りや顔射はもちろん、女性をロープで縛ったSM写真や、更には野外で押し倒して強姦するというレイプものまで幅広いジャンルを網羅していたからである。俺はエロ本に期待や興奮だけでなく、他にもある何かを感じ取った。それは新しい世界との遭遇とも言うべき、一種のカルチャーショックであった。
俺はその日エロ本を閉じた後、ずっと物思いに耽っていた。そして二階の俺の部屋のベッドで横になった。二日前のあの日、俺はオナニーをせずにそのまま寝た。そう、俺はオナニーをせずに寝ていたのだ。と、すると、あのエロ本はどこにあるんだ?
そうだ、俺は友達から借りたエロ本を、こともあろうか、家族全員が食事をする一階の食卓に置いたままだった!
俺はそのことを思い出した途端、一瞬で顔が青くなり血の気がひいていくのが分かった。
ばれた。エロ本が親にばれた!
俺はその時、なぜ父があの時俺に意味深長な含み笑いをしたのか、また、なぜ母が急に寝込むことになってしまったのかを一度に理解することができた。俺は生まれて初めて親にエロ本を発見されてしまった、いや、わざわざ自ら見せつけるように発見させてしまったという事実にショックの念を隠せず、体から力が抜けていくようにぐったりとなった。
俺は心の中で叫んでいた。違うんだ、あれは違うんだ。あのエロ本は俺のじゃないんだ。友達のなんだ。
しかも、SMやレイプまでをもカバーしている豪華なエロ本を見つけられたという事実も、ただ不幸としか言いようがなかった。心の叫びは尚も続く。違う、俺はそんなんじゃないんだ、SMとか野外レイプになんて興味はないんだ。誤解しないでおくれよ。これは純粋な未知との遭遇なんだ。
親にエロ本を見られたとか、そんなものはただの笑い話に過ぎない。これを読んでいる人は、そう思うかもしれない。だが俺はその事件を未だに笑い飛ばすことが出来ずにいる。なぜなら親は、エロ本の事について注意しないどころか、その事について全く触れなかったからである。もし一言でも注意してくれたのなら俺は救われたのかもしれないが、それが全く無かったために、今でもこの事件が心の奥でしこりとして存在し続けている。
夜起きて朝に寝る。また夜起きて朝に寝る。俺は毎日そういう生活を繰り返している。食事は主にカップラーメンやお菓子等だ。たまに「電子レンジで温めて食べてね」という書置きとともに、夕飯の残りが用意されている日もある。家族との会話は殆どない。いや、家族というには関係が希薄過ぎる。同じ家の同居人と言った方が適しているかも知れない。俺がもし将来家庭を持つとしたら、こんな家庭には絶対したくない。時には喧嘩や衝突があってもいい。会話のある家庭を築きたい。
| 今日起きたら、炊飯器の上に付箋がついていた。「タイマーセット中」…? 見りゃわかるよ。 |
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1/2
一週間ほど日記を休んだ。別に休んだってどってことはないんだ。世の中は変わりはしない。俺が死のうと生きようと。犯罪で懲役になろうと生涯をボランティアに尽くそうと。
なぜこうも空虚なのだろう。自分はこう生きたいと思い描く。しかし思い通りにはいかない。ならば生きる意味はあるのかと。
なんだか正月早々重苦しい気分になっている。暗い人だね。
昨日久しぶりに高校の頃の友人達と再会を果たした。俺が家に引きこもってなかなか会えなかったから、かれこれ2年ぶりくらいになる。友達同士で飲むのも久しぶりだったんだけど。どうも駄目だ。自分は周りと違うのではないかと思えてくる。密かな優越感ではなく、どちらかと言えば劣等感。自分は人と比べて「何か」が欠如しているのではないかという感覚。その「何か」とは、まずコミュニケーション能力がそうだ。
神経症の事について少し調べてみたものの、自分は視線恐怖や対人恐怖には該当しないように思う。コンビニでも普通に物を買えるし、人前で赤面したり話せないという症状もない。具体的にこれだという病名がない。しかし、俺は人と話すことが苦手だ。テレビ番組のトークにはすぐに突っ込みを入れられるが、実際に人と話す時は上手くいかない。あとになって、あの時こう言えばよかったのに、と後悔ばかりしている。
周りの人達は話をしていて皆楽しそうだ。だから俺も楽しいフリをしている。但し、その微笑は逃避を意味している。
なぜ自分だけがいつもこうなのだろう。話が上手くなくてもいい。多少誰かに嫌われてもいい。せめて普通レベルになりたい。
歩けない人や目の見えない人は理由がわかるだけいい。しかし自分に欠けているものは何だかわからない。
何をしてもむなしくてしょうがない。みんなは何が楽しくて生きてるのだろうと不思議に思えるくらいむなしい。自分のような、いわゆるインドア志向の人間にはある問題が常に付き纏っている。それは、日々の糧をいかにして得るかという問題である。働くのは様々な意味で辛い。しかし働かなければ生きていけないというジレンマに陥る。辛い思いをまでして生きていく意味はあるのかと悩む。
ここに書いてもどうにもならない。
ここに書いても何も解決にはならない。
ここに書いても世界は変わりはしない。
冬という季節は危険だ。思えば去年の冬も同じように悩み、そして死を決意した。だが出来なかった。残された家族がどんな顔をするだろうと想像すると踏みとどまってしまった。今年の冬も危険だ。
2/12
いつの間にか、ほんとうにいつの間にか時間は過ぎ去っていくものであるよ。
気がついたらもう2月です。ああ、もうすぐ社会人になるのか。
ほんと、ここどうしようかと思ってね。いっそ潰した方が楽なのかもしれないけど、どうせ誰も見ちゃいないから、潰したところで意味はないんだよ。だったら密かに何か書きたいなーなんて思ったりするもので。書くことなんてありはしないのだけど、暇なんだろう。書いたって何も得られないし、後になって虚しくなるだけだし、でも1ヶ月くらい経過すると、また書いてみようかな、なんていう気がふっと頭をよぎったりして。
俺は自分の事がよくわからない。人と接したいと思うくせに、人を嫌いになる。生きていてもつらい事ばかりのような気がするのに、バカみたいに生き続けている。
お金がねえ。社会人になったら溜まるのかな、お金ってやつは。お金がないとね、100円や200円を損しただけで、ものすごくショックを受けるんよ。俺は、そんな自分が嫌いだ。こんな小さなことでくよくよするなんて、人間として恥ずかしいよ、と。
そんな折、一通の封筒が俺の元に届いた。中身を開けてみると、一枚の用紙が入っていて、内容はよくわからなかった。源泉徴収とか年末調整がどうのって書いてあるんだけど。でもそれを見て、俺は直感的にびっくりしてしまった。今まで、源泉徴収されていたという事実に。そして、その金額が一生こちらに戻っては来ないのではないかという恐怖に。
用紙の裏面を見ると、不明な点があったら近くの税務署にお気軽にお尋ねください、と書かれてあった。
俺は思った。どうせ税務署にお気軽に電話したって、煙たがられて虫けら同然の扱いを受けるに決まっている。少なくとも、俺が電話をかけた事によって彼らの仕事を増やしたのは確かなのだから。そのような人間達と関わりたくなかった。
俺は国税庁のHPを開いてみた。年末調整に関する資料(むかつくことに、htmlファイルではなくPDFファイルだった)があったので読んでみた。だが、内容はよくわからなかった。ただ、年末調整は既に終わっているのが分かり、今度は確定申告を行う期間があるということだ。俺が確定申告できるのか? わかんないよ。どうすればいいんだ。確定申告をすれば、源泉徴収されたウン万円が戻ってくるのか? だとしたら、こんな夢のような話はないんだけれど。
今、まじで金がない。だから、その源泉徴収された金が戻ってくるなら、なんとか4月までは生き延びられるだろう。……と、そんな希望を胸に、明日も生きていくことにしよう。
こんな事を書いている自分が情けなくもあり、一体、こんな無意味な日記をつけている奴はそうそう見つけられないだろうなあと思う。今、頭の中では広沢タダシの「ブルー」が流れています。